自分らしく生きるということ
突然ですが、あなたは自分らしく生きていますか?
特に日本では個性を尊重するより周囲と合わせる集団教育を受けてきた人が多いため、大人になっても「自分らしさ」を出して生きている人は少ないかもしれません。
自分にとっての幸せとは?
画一的な教育は、進路や仕事を決める際にも影響しています。
たとえば会社員の中には、いまの仕事は本当はやりたかった仕事じゃないけど生活のためにやっているという方も多いのではないでしょうか。
私も以前勤務していた職場内に明らかに場違いな人がいて、なぜこんな場所にいるんだろうと思ったり、逆に言われたこともあります(^_^;)
しかしながら仕事を選ぶとき、何となく世間の目が気になるから・親が反対するから・不安定だからという理由で本心とは違う仕事に就く場合もあるでしょう。
私の知り合いでとりあえず受けた公務員試験に合格し、本当は○○がしたかったけど周りから「不景気だから安定した公務員になるべきだ」と強く勧められて公務員を選んだ人もいます。
しかし公務員に限らず、自分の意志とは関係なく他人の勧めや安定性で決めた仕事というのはどこか違和感を覚えるものです。
世間や他人の意見を気にしすぎて自分の本心を見失うと、後で苦しくなるよ。
我慢の時代から個の時代へ
もしあなたが今、違和感を感じながら働いているのだとしたら考え直す時期かもしれません。
それに対し、周りの意見などに左右されず自分の好きな仕事で自分らしくイキイキ働いている人は、本当に輝いて見えますよね☆
また、スピリチュアル的にもすでに「個」(個性・個人)が重視される時代に移ったそうです。
つまり一人一人の持ち味やスタイル、得意分野をそれぞれが活かしながら生きていくことが当たり前になるということです。
「給料は我慢料」というのは、あくまで昭和的な考え方。
変化を受け入れる
従来の日本の教育法はいかにも真面目で勤勉な日本人らしく、いい面もあるとは思いますが、人間性が育ちにくい欠点もあります。
つまり一種の洗脳のようなもので、学校では子供の頃から画一的な教育にはめようとするため個性や長所が伸びづらいということです。
そして社会に出たら今度は会社で洗脳教育を受けて、会社のために貴重な人生をささげるだけ(いわゆる社畜)で終わってしまう人も大勢います。
このように一昔前の日本の教育は「右へならえ」といったものでしたが、現在は崩れつつありますよね。
昔方式の教育を受けてきた者から見ると「今のやり方はちょっと緩すぎるのでは?」と感じる部分もありますが、変化していくうえでは必要なことなんだと思います。
パソコンや携帯電話のように、時代も常に進化していくべきもの。
何に関しても対応が遅い日本
しかしながら日本は変化を好まない性質なのか慎重なのかわかりませんが、どんな分野においても昔ながらのやり方、考え方を変えるのが遅いですね。
近年になってようやく多様性・調和が推進されるようにはなってきましたが…
たとえば私の生まれ育った田舎では、男子中学生は丸刈りにしないといけないという校則が平成時代に入ってもなお続いていました。
小学生や高校生は普通の髪型でOKなのに、中学の3年間だけ丸刈り強制っておかしな話ですよね。。
心では嫌がっている男子たちも結局、中学生は丸刈りにするのが当たり前・そういうものだという昔ながらのしきたりに黙って従わなければならず、気の毒でした(^_^;)
そんな田舎者の我々が団体で東京に修学旅行に行った時は、その光景が都会の若者の目には奇妙に映ったのでしょう。
「うそ!?あの子たちみんな丸刈りなんだけど…キモくない?」なんて揶揄する声が聞こえてきて、とても恥ずかしかった覚えがあります(苦笑)
でもそれくらい、日本の考え方というのは古いままだったということです。
ちなみに女子の体操服はブルマでした。(当時でも今時ありえないと思ってましたが…)
まとめ
これからは、自分の「個性」を活かしたスタイルで自分の道をどんどん進んで行くのが当たり前の時代になるのは間違いありません。
皆がそういう意識になるにはまだ少し時間がかかりそうですが、世間の常識という名の呪縛から解放されて「自分らしさ」を大事に生きる人が増えてきているのも事実です。
人生の終盤に差し掛かった高齢者たちに人生を振り返ってもらうと、「もっと冒険しておけばよかった…」と口にする人が多いそうです。
人生は一度限り、洗脳された優等生になって死ぬ時に後悔するくらいなら、自分の心に正直に生きるという選択をするのも悪くないのかもしれませんよ☆
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洗脳された人生を歩むか、自分らしく生きるかはあなた次第。